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こうして、自分自身を掘り下げていこうとしているが、奥底にある、肉体を構成している細胞の一つ一つが何もメッセージを持たない空虚な存在であることに気がつく。 正常に精神や肉体が働いている人々を基準に構成された社会で、僕自身もその許容範囲に中でさほどの存在感は持たない。本質的に±0だと思う。だが仮に一人の脳に障害をもった人がいたとしよう。僕の記憶と想像ではその人は明らかに何かのエネルギーを僕らまわりの人間たちに発してくる。今そのことを想像すると、彼らの細胞の一つ一つが輝いていたように思う。メッセージを肉体の内側に持っているのだ。輝きなのだ。存在が表現なのだ。
昔から哲学者や思想家、詩人に芸術家といろいろな人物がいる。 ひょっとしたら、そんな人々も本質的には内なるエネルギーを持たない空虚な細胞の持ち主なのかもしれない。生まれ死んでゆくまでの暇つぶしに過ぎないのかもしれない。 なぜなら、その作業と時間は命としての細胞が生きるエネルギーとしての余剰に過ぎないと感じるからである。
注)何かが違うと感じている。もっともらしく書いているが決定的に何か違う。 僕ごときにこの難解な回答は説けるはずもないが、何かのたたき台として、記録に残しておこうと思う。
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