レンタル TSUYOSHI MIYAMOTO
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冬の早朝

昨夜の新年会から宿泊、朝帰りとなる。冬の早朝はやはり身にしみる。出勤風景、登校風景を横目に、後ろめたさを軽く感じながらの帰宅となった。自身どうゆうわけか昔から朝が苦手。なぜだろうの切り口からこの先の話をつづってみることにする。ふと頭に浮かんだのは、朝の強い光に映し出される街の風景や人々のリアル感には恐怖に似たものを感じる。たとえはおかしいがヒッチコックの映画のように。原因はあの街の人工的建造物に突き刺さる直線的な強い光線、映し出される街の正体。同じ光線でも自然の中で感じるとそれは純粋なすがすがしさや美しさを感じるのだ。2つ目は労働や学校というある種の縛りの世界に向かう人々の心情。子供の頃の「あ~学校か~いやだな~」的な苦行。学校行きたいではなく、行かなければならないという義務感。3つ目に集団。個の存在の薄れる社会。そんな感じで朝の風景、集団的な出勤や登校風景を見ると辛くなるのだろう。まぁ簡単に言うと自分はダメ人間ということになる。社会にうまく適合出来ない理由がよく分かった今日の自己分析でした。


★ 


仕事論/実証

1/22の仕事論での話のような仕事が出来た。一枚の絵に向かって多くの人が向かっていった。そんな時はいい写真になっているに違いない。仕事の幸せはこんなとこにある。醍醐味はこんなとこにある。生きてる実感をみんなで共有出来る。僕は幸せです。その現場に感謝。


★★★


幸せの形

ひとつ形を求めて試みた仲間との別れが近づいている。生き方や方向などいろんな細かい違いはあるけれど僕たちはそれぞれに何か理想に向かってそれぞれが生きようとしている。そんなことを仲間との話の中に感じることが出来た。僕たちは最終的には幸せにならなければ意味がない。その幸せの形、面白いね幸せっていろんな形があるんだよね。僕には僕の。みんなにはみんなの。面白いね人間て。みんな違うんだよね。あたりまえのことがあたりまえに感じちゃって、そんな僕とみんなが愛しい。だってかわいいじゃん。こんなブログ書いてる僕も。結構バカバカシイよ。


★★


大人のおもちゃ

昔大好きだったロバート・フランク(Robert Frank/写真家)の写真集を久しぶりにひろげてみた。今思うとホントなんてことのないその時代の写真にしか見えない。何が好きだったのかさえ感覚では分からない。どうなっちゃてんだろう。でもひとつだけ昔と違う見え方に気づいた。カメラは1924年生まれの彼にとっておもちゃだったんだと思うんだ。写真を無邪気に撮ってる感じ、カメラってあの時代(40~70年代)大人のおもちゃって感じじゃなかったのかなぁ。楽しそうなんだよね。だから思ったね。僕も大人のおもちゃがほしいってね。いろんなおもちゃ持ちすぎだね。面白いもの作る人っておもちゃ一個しか持ってないんじゃないかな今の時代でも。捨てていかなきゃダメだね。


★★★


kojin

久しぶりに先輩のKojinにあった。その存在sonzaiに心が落ち着く日になった。なんていうかお互い似ているところがあるらしいのだ。寂しい、自己顕示欲。まっ、お互いブログを最近始めたいう話からそんな話になったんだけど。つまりそういう人間でないとブログなんてやらないよねっていう結論なんだけどね。


★★


仕事論

今日は打ち合わせの多い日だった。内容的にも面白い仕事なので打ち合わせも楽しい。やっぱり仕事は楽しいのがいい。いろんな要素があると思うけど、ひとつの絵にみんなで向かっていくって感じがいつもあったらいいなと思う。いい写真は一人では生まれない。みんなの想いのようなものがそこになければいい仕事にならない。「はい、撮るよぉ~ パシャ」なんて世界じゃないしね。仕事は幸せでなくっちゃ、楽しくなくっちゃ。あたりまえのシンプルな仕事論ですがなかなかそんな風にならないとこもありますよね。


★★


√d

知人のデザインオフィスのオープニングにお邪魔しました。うれしかったな。みんないろんなとこでがんばってる。ありがとうって感じ。いろんな人がいろんな形でがんばってるそんな顔見れたよ。生きてるって感じがいいよね。鮮度がいいのもいいね。


★★


心技体

相撲の世界ではよく「心技体」の三本柱でよくたとえられるが、全くの個人的な写真の世界の解釈も似たものを感じ信条として「写心」、「写欲」、「写力」の三つを大切にしている。心とは自身の奥底にあるものを見つめる作業、欲とはそれを表の世界に出したいと思うエネルギー量、力とはそれを表現できる技術。あまりうまい説明ではないけれどそんな感じのこと。これは人によって違うと思うので、あくまで個人的に思っているだけのこととしておいてもらいたい。そして、僕の経験ではそのどれかが足りなくてもうまくいかないような気がしている。形となってこの世に生まれてこないのだ。「心技体」とほんとよく似ている。心の充実とでも言うんだろう。今の僕に不足しているのは「写心」。欲は充分。力は何とかなる。心がぶれている。照準が定まらない。ロックオン出来ない。写真はだから面白い。


★★


月面着陸

我が家からほど近い場所にダム湖がある。そこの外周を最近の運動不足を補うために愛犬ハチと歩いた。冬になると水量がかなり減り夏の間湖底に沈んでいる世界が地上に姿を現している。その光景はある種幻想的とも言える。一年の半分は地上その後再び水面下にもどる。この繰り返しをこれからも続けていくに違いない。そんなことを思いつつ外周をはずれ、少々苦労してその地に降りてみた。個人的には月面着陸の気分、「私にとっては小さな一歩だが、私にとって大きな一歩」なんてコメントを言っちゃいたい気分。そんなこんなで思うことはそんなことではなくその地に過去の人の暮らしがあった痕跡が確実にあるという現実。いくつもある石組みの畑か田んぼ、住居跡、立派な橋、小川など。そこには人の暮らしの残像がある。畑仕事の後の縁側でのお茶。薪でたく五右衛門風呂、かまど。朝日ととともに始まり、日暮れとともに終わる一日。そんな牧歌的な物語をその石組みの石が語る。ここで暮らした人もこの石をここに置いた人もこの世にきっといない。しかしこの場所は「名もなき遺跡」として僕の心にこれからも残ることだろう。ふるさとのように・・・。


★★


寺島しのぶ

いいんだなぁこの人。大好きなのよ。ぶるぶるなんだな。今やってる「何とかの何とか」誰かいっしょに行ってくれません?きっとつまんないとおもうんだけど。でも面白そうな気もするのです。

寺島しのぶ
愛の流刑地
渡辺淳一


★★


ロダン

ロダン展 /創造の秘密に行ってきた。フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(Rodin) 彫刻の巨匠から何かを感じ学びたいと思っていた。たくさんの彫刻が展示され自分なりに満足した。ひとつひとつのそれらを前に彼の内面を想像して歩いた。とうてい分からない世界がほとんどだったのだが、こんなことを感じられた。人間であって、男である。割とまともな人間だった気がするし、生きていた時代の社会適応能力もきっとあったと思うな。同時に人間の中に深い興味を持ち、真理を探究していたと思うし、そんなエネルギーのかたまりのような人だったんじゃないかなぁ。まぁ見たまんまだけど、僕の脳みそでの解釈はこんなとこかな。まぁ日本の美術館の中でなく、パリの空気の中にあるととてつもなく存在感を増すような気もするな。美術館という無菌室では発酵しない納豆みたいなとこあるから、単に大豆を食ってるだけかもしれないしね。僕レベルだと。仕方ないけど。とりあえず。


★★


太陽のある仕事場

今年から仕事場の机を窓際に移した。今まではパソコンでの色味を重視して暗がりの中にいた。一日中一定の照明で写真をみるにはいい環境だった。でもどうも精神的にどこかウズウズするところがあったし、目にもパソコンの影響だと思うが良くない感じがあったりしていたので移動してみた。それでも太陽を感じれるのは2~3時間なのだがなんかいいんだな。人間って太陽が必要だなと思うね。エネルギーみたいなものくれるんじゃないかな。太陽に飢えてたからかもしれないけど何か感じるね。太陽のない仕事場でいまいちエネルギー不足を感じてる人はなるべく太陽のある環境にした方がきっといいと思うね。あたり過ぎもよくないとは思うけど。まぁその辺は適当に。


★★


ジムニー

こいつに乗るとほんと心がウキウキする。ハンドル握って、路面を感じて高揚感。車ってこうでなくちゃ面白くない。今日も山に入ってお湯を沸かしてカップラーメン、食後のコーヒー。こんな程度の事が僕には適度の癒しになるね。僕にはこいつが必要だね。おじいちゃんジムニーだけどね。


★★


天職

この男と初めて仕事をした。まれにみる分かりやすい男。筋の通った男。戦える男。義理、人情にもあついと見える。分かりやすいということは敵も多いかもしれないがそのいさぎよさは逆に信用出来る。より深い人間関係を築く男だと思える。僕のような優柔不断な中途半端な人間にはそこに美しささえ感じるのだ。しかし、僕が彼を真似ても彼にはなれない。結局一生この生まれ持った自分とつきあうしか方法はないのだろう。僕も彼も今もこれからもそれぞれの天職で生きていくに違いない。


★★



僕にとって本当の意味での友はいったい何人いるのだろうか?お互いを認めあえる事の喜びを久しぶりに感じ、僕にとっての大切な友がまた一人ふえた。僕が僕であるために、彼らに恥ずかしくない生きる道を正直に。


★★★



クソー。自分の小ささに泣けてくる。あの場所までたどり着きたい。自分の中にある自分。そこにはきっと何かある。信じている。


★ 


仕事始め

僕にとって2007の仕事始めでした。少々気合いがはいるしこの1年を楽しめるよう願うばかりです。僕が僕らしく生きて行ければいいなと思っているのですが。


★ 


ブログはトイレ

面白半分で始めたこのブログ。まだ一ヶ月半だけどふと思う。僕は写真という表現手段を持っているのに言葉によるブログをしていてもよいものなのか?元々は個人的な脳みその中の整理だったり、何気ない日記だったり、ゴミ箱だったり、まずは自分の中にあるものをさらけ出す作業のつもりでいたのだが以外とこのブログを読んで頂いているようで そうなるとちょっと違うぞってかんじなのだ。結構内面の底に貯まったヘドロを汲み上げているようなところがあるので自分でもあまり気持ちよいものではない。その反面すっきりするところもある。それはまるで排便のような感覚。
みなさん、このようなブログを読んでいただき本当にありがとうございます。おかげで僕はすこしづつ浄化されているように思います。いつかこのブログから文字が消え、写真に転じてきた時、そこからが僕にとってのブログの面白さかもしれません。当然約束などする気もありませんが・・・。


★ 


事実と真実

昨夜、布団の中である事を考え始めてしまい眠れなくなってしまった。それは「事実と真実」の違いについてなのだが昨夜の時点では自身こう解釈して眠りについた。僕たちは地球上の日本という国に住み生活している。簡単に言うとこれが事実。では真実はというと、立ち位置の目線を遙か上空、大気圏を抜け無重力の宇宙から眺めたときの光景であるだろうと結論づけた。つまりそこには日本という国もなければ国境線もなく民族、人種、宗教、言語などの違いは存在せず、ただ、茶色の陸らしき場所と青い海があるだけでたまたまその中のある一点に生きているにすぎないのであって、ほとんどのことがとるに足らない出来事だろう。そのことが真実なのではないだろうか?たとえがかなり究極になってしまったが、これを目の前の小さなガラスコップにも当てはめることが出来る。飲み物を飲むためのガラスの容器というのが事実だと思うのだが、真実はガラスで出来た物体で、液体を貯めることも出来る形になっている。みたいな?何かよく分からなくなってきたけど、ふと思うね。いかに僕がふだん決まり切ったモノの考え方や見方をしているか。真実をみる目は面白い写真を生むかもしれない。ちょっと頭痛くなりそうだけど。


★★★


ふるさと

古くからの友人が正月とお盆には帰省のため東京から帰ってくる。明日、その彼と会うことになっている。ただそれだけの事であるけれど、無理矢理、古里につなげてみようと思う。僕の実家はまぁ車で40分程度の場所であるので今や故郷などない。生活の場所であり、日常である。これって結構つまらない。過去に15~16年東京にいたので盆と正月は重要な区切りであったり、原点にかえれる時間であったり、親を思う時間だったり、いろんな意味があったと思う。だいたい新幹線で帰ることが多かったので東京駅から新橋、横浜と都会の車窓からなんとなく想いにふけって、一年を振り返る。これが結構いい感じだったのだ。そうしているとたまには富士山を見ることがあったりするけどだいたいそのあたりでは寝ていることがほとんどだったな。そして名古屋手前で目を覚ますって感じ。そこからが長い、遠い。日本はデカイ。まぁ田んぼが多いよね。ほとんど田舎だよね。古里って、いいよね。故郷ほしいね。あの頃あったね。古里が東京という設定もあるのかな、僕にとって。ちょっと無理矢理でした。


★ 


謹賀新年

皆様にとって、よい年でありますように。

初詣0時過ぎに行ってきました。
でも、ダメですね。直前まで格闘技なんか見ていたので正月の「あの気分」やっぱりありませんでした。大晦日はやっぱり紅白と八代亜紀、そして行く年来る年にかぎります。
それでも、そばを自ら打ち、少々強引に「年越手打ちそば」にしたてたのでまぁまぁの新年を迎えられました。



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