レンタル TSUYOSHI MIYAMOTO
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いじめ

僕にとって2006年のニュースの中でどうしても気になるのが「いじめ」の問題で、だけどいじめの事だけで解決できない根本に少しだけ持論をぶつけてみようと思う。もちろんそこに責任など持つ気もないし、「問題」というカテゴリーの枠をはめてしまう事にも疑問を持っている。つまり今の社会の中でのあたりまえの副産物的な出来事の一つにしか過ぎないと僕には思えるのだ。過去を振り返っても流行風邪のインフルエンザのように2~3年周期ぐらいでやれ何々とマスコミや社会は問題を作りキャンペーンをはってはその問題?を社会の表面から消していった。暴走族や援助交際、チーマー、怪奇的殺人などなど今簡単に思い出すだけでもファッションのような流行もののように思える。きっと再来年あたりはまた違うキャンペーンを張られているだろう。僕が思うのは一つに「マスコミのいやらしさと無責任さ」それに荷担するにせ者評論家のバカ。これがまずは大きな問題であると思うのだ。くだらない事を取り上げては過剰反応し、やれ学校の責任、担任の責任といかにも勝ち誇ったように電波の力で垂れ流し、子供の道徳の教科書のような正論を吐く。この世の中、正論の中のどこに真実があるのか疑問でならない。もう一つは逃げ場がないという環境、仕組みに問題を感じる。どんな生物だって、決められた柵の中に多くの生き物を無理矢理に押し込めば本能で生存競争のための戦いを始めると思えるのだ。想像力や知能のある人間であろうと所詮その程度の生き物と大差ない。勝ち残るために頭を使っているだけであろうし、自身の存在価値を認めてほしいだけのことだと思う。もちろん僕もその種の人間である。それに反して戦う事に興味がなく、心美しい人間や子供たちがその犠牲になり「いじめ」を受けているのではないだろうか?
心からこの社会に逃げ道を作ってあげてほしいと思うのです。根本的に戦う気のない少年、少女のために、心美しき子供たちのために。彼らこそ理想の人間像だと思えてしまうのです。


★★★


冬の風鈴

近所で冬の風鈴が鳴っている。なんとも言えず追憶の音ですな。明日にはこのあたりでも雪が降るかもしれないというけど冬の風鈴も感じ方かえればなかなかのものですな。今年の夏はなにやってたかなぁ。この音寂しいよ。たまらんぁ。夏をいっしょに過ごした恋人なんかいたら、キュ~ンときちゃたりして「僕たち来年の夏もいっしょにいようね。」「うん」とか言っちゃって。たまらんんぁ。その後はかってに想像して・・・。さっ寝よかぁ。


★ 


動物園

僕が住んでいる街にも昔ながらの動物園がある。しかし僕の子供時代とほとんど変化のない少々今の動物園ブームに乗り遅れた感がある。未だに猛獣などは狭いコンクリート壁の小さなオリの中、当然命の輝きなど感じることは出来ず、それどころか虐待を連想させる。30~40年前ならそれでもよかろう、今やペットの犬でさえセーターなんか着てる時代だよ。いいもの食ってるよほんと。アホかと思うけど、まぁそんな話はどうでもいいや。動物だってただ生きてるばいいわけじゃないよ。輝きだよ。生命感だよ。それでも職員の方々は努力されてるんだよ。イベントなんかも地味ではあるがよくやっておられる。でもね思うのよ、この動物園はこの街の唯一の宝だよ。お役人さん本気で街を作ろうよ。「ステキな動物園のある街」作ろうよ。そしたら、いっぱい人くるよ。最初だけは。後はさ知恵絞ってさ企画してさ努力すればいいじゃん。ダメ? 駅前再開発なんかやめちゃいなよ。「夢」だよ。「感動」だよ。みんなが求めてるのは。僕がそんな動物園に行きたいんだよ。毎日でもいくさ。虐待的動物園はよくないじゃん。行けないじゃん。


★★


美しい日本 美しい自分

さて、残りの2006をどう帳じり合わせて過ごすか、出来るだけ新年をすがすがしく迎えたいものなのだが,なぜかここ数年 昔のように「新年あけましておめでとうございます。」と気持ちよく言ううことが出来ていない。12月31日も1月1日もあまり区別出来なくなっている。日本の社会全体がそんな空気のようだし、どことなく巻き込まれている気がする。個人的には仕事はすでに終わり、何も気にすることはないのだけど社会はぜんぜんおもいっきり動いている。「みんな仕事しすぎだよ。」12月25日から1月5日ぐらいまで日本中が一斉に正月休みになるといいね。それが「美しい日本」を取り戻す第一歩だと思うね。まぁそんな夢物語を語っていても仕方ない。ようは経済的に余裕を持てることが重要なんだろうな。仕事と自分の時間の分け方を持てる生き方ってことかな。これって結構現実的には理想の自分だよね。楽しく仕事することと、自分を持つことの両立。「やっぱ僕もなんだかんだ言ってもお金かぁ」まずは楽しいこと、その上でお金に成ること。これを今の環境で探すのは非常に難しく思う。ならば外に出るか、でなければ今までの自分の価値観を壊して再度組み上げていくか?そう簡単に自分で壊せるわけもなく、強い力を望みたいがこれも他力本願。やはり覚悟をもって第一歩を踏み出すしかないだろう。2007はその第一歩の年にしなければ「美しい自分」は今後ないだろう。


★★


泥団子

かなり昔の話になるが泥団子を作るのに夢中になった時期がある。通っていた幼稚園はお寺だった。古い門をくぐって正面には本堂あり、仏像が薄明かりの中で鈍く光っていたのを覚えている。その本堂では夏になると昼寝をしたりするのだが なかなか寝付けずに嘘寝をしたり、天井の蓮の花だったと思うけどぼんやり眺めていたりしていたのを記憶している。花組、雪組、月組があり、その時期というのは雪組の頃だったと思う。どうして泥団子がはやったのかは分からないけど5~6人の園児はしばらくはまっていたと思う。全部で何個ぐらい作っただろう、最後の頃はかなりの完成度を求めていたし、硬さとツルツル感を限界まで極めることを求めていた。だいたい一個の泥団子に2~3日かけていたように思うし、途中でヒビなんか入って完全に修復出来ない時にはかなり悔しいおもいで二つに自分で壊し、また新しく作ったりしていた。しばらくすると子供ながらに泥団子の限界を感じ、いくら磨いても鉄の玉のようには光ったり、堅くなったりすることはないというのを悟って、自然にやめていった気がする。今思うと本当に懐かしいし僕の原点があるような気がする。夢中になるってああいうことを言うんだと思う。あの頃の僕にとって小さな「手作りの宇宙」だよあれは。
クリスマスの夜にそんなことを想う僕でした。


★★★


20代

たぶん今年最後のパーティーだと思うが行ってきた。若者のしめる割合が多くて、そこそこの自分はまぁそこそこ楽しみながら全体を眺めていた。感想は20代という世代は男にとっても女にとっても辛い世代なんだろうなというもの。決して今の自分が楽というわけではなく、行き場のないエネルギーを感じてしまった。自分を振り返っても確かにそうだったと思う。誰もが割と横一線に並び、同じようにチャンスもあり、可能性もある20代前半、後半になるにつれ少しづつ、個人差が出てきて、でも取り返せないほどの差はなく、焦ったり、悩んだり。もしやり直せるなら20代、21,22ぐらいからがいいね。だから思うね、この時期、小さくまとまらない方がいいよ。目先の安心や仕事、収入なんてあまり考えない方がその後、きっと楽しいよ。でも、僕自身あんまり偉そうには言えないんだけどね。じゃぁお前は今どうなのよ?っていわれても「すみません」って感じだから。今でも自信はないんだよね。迷いや不安の壺の中に漬かってる。抜け出したいね。しんどいね。それも楽しいのかもしれないけど。写真撮ってるときだけは生きてるって感じ。てなとこで。


★ 


感謝

僕という人間は幸せだと思う。いろんな周りの人たちに助けられている。いろんな制約のある社会で割と好きなように生きさせてもらっている。そんな風にしか生きられない自分自身も確かにいるけれど、生きさせてもらっているというのも実感としてあるし、心から感謝したいと思う。性格的に決して優れているわけもなく、すぐ怒ったり、きれたり、投げ出したり、協調性もあまりなく、かといって一人でいられるほど強くもなく、忍耐力もなく、たいした才能もなく、努力もあまりしないで、でもいっちょまえのことはもっともらしく意見したり、いい写真が撮れたときは自信満々にすぐなって天才だと思いこみ、落ち込むときは底まで落ちこみ、でも次の日にはケロっと忘れてしまう。以外といい写真じゃんなんていいとこ見つけて納得しちゃって う~んこれはこれでいいじゃんと思っちゃう。がんばるって言葉が嫌いで、結果なんとなくがんばっちゃったことに自分てすごいじゃん、偉いなんてほめっちゃったり「俺ってすごいよねぇ~」なんて言って、人にほめてもらおうとする。そんでもって、その人が「そうかな~普通のことじゃない」なんて反応だといやな奴だと思い、 なんて心のせまい奴だと軽蔑する。まぁそんなこんなでよく生きてられるなと思うところもあるのです。辛くなってきたので今日はお休みなさい。


★★


2007

毎年この時期になると一年を振り返ってみたり、翌年のこうありたいなんて言う目標、目的なんぞ考えたり想像したりする。今年はこんな感じだ。
2007まずは環境を少し変えてみようと思う。今いるフリーランスの集団から少し距離をとってみようと思っている。この集団とは立ち上げから約一年半、いろんな楽しい思い出がある。自身の一皮むけた感じもこの集団のおかげだと思っている。本心は抜けたくはないのかも知れない。簡単にいうと時間の流れ、メンバーそれぞれの考え方や想い、いつの間にかずれのようなものが生まれて大きくなって、僕も気にしなけりゃそれで済むことも気になって来て、それぞれの現実も考えず楽しくありたい、真剣に遊びながら刺激しあって、いいものを作るかっこいい場所であってほしいと勝手に想像を膨らませていた。僕は写真、ほとんどの仕事は外に行く、事務所にいるときは仕事をしていない時。他のメンバーは主にデザイン、事務所のデスクで長時間Macに向かう、仕事のスタイルが決定的に違うこともあまり想像していなかった。事務所が遊びの場、面白い場所なんて彼らとはちょっとずれている。失礼極まりない。
まぁ、そんなこんなで春からは動く2007ということになるだろう。でも変わらず、楽しくありたいという想いに変化無し。変化 進化 その先に僕なりの幸せを信じて。


★ 



タイトルに[KO-I]と打つと「濃い」と一発目に出てきた。違うだろう「恋」だよ。こんなことが意外と寂しいものだ。夜中に山口市から周南市に帰る車の中で「恋」っていいなぁと感じていた。帰りの車中「プチ恋」を感じていたのだ。相手はファインダー越しに見る「mama! milk」のアコーディオンの女性。名前は忘れてしまった。肩口のtattoo、うつろな瞳、しなやかな指。そして曲。いい感じだった。ちなみにその「プチ恋」は帰宅と同時に残念ながらさめてしまったけどね。でも面白いよな。「恋」ってしないとダメだね。フロントガラス越しの暗い50%アスファルトの風景もなんとなくいい感じに見えちゃうもんな。恋をしなきゃいい仕事出来ないね。感性鈍るよ。「愛」とは違うって感じ。「恋」だね僕に必要なのは。
いいかげんでいいんだよ。自分勝手でいいんだよ。「恋」をしなくっちゃ。


★★


王国

また一つの雑誌が創刊された。べーボールマガジン社、いつまでも夢見る男たちの雑誌「王国」である。表紙には星野仙一氏を起用、40~50代、人生を折り返した男のための雑誌だ。ここからは、冒頭の挨拶文を紹介しよう。
人生は楽しくあるべきだと思う。たった一度きりの人生。やりたいことをやるのが人生だ。
でも、いつからか、仕事に追われ、生活を維持することに懸命になっている。
何かに縛られているような気がして、挑戦など出来ないと思っている。
ある人は時間がないと言う。ある人はお金がないと言う。でも、本当にそうだろうか。
失敗すると決まっているだろうか?
失敗したら終わりなのだろうか?・・・(中略)
・・・無謀とも思える航海に旅立ち、自らの王国を作り上げた男たちは今、少年のように、
屈託なく笑うのだ。・・・(省略)

そんな言葉にぴったりの楽しい男が創刊一発目の特集になっている。
水本雄二、小屋場「只只」の主人だ。ふだんははひょうひょうとしているが、なかなかまねの出来ないすごい人だと思う。いろんないい風が吹いている。気持ちがいいくらいに。うらやましい才能の持ち主だ。




★★


不協和音

今日も一つの忘年会に出席させていただいた。印象に残るひとつの話。あるエンジニアの方がいらした。僕なんかではよく分からないかなり高度な脳をもっておられる。その反面クラシックギターにも才能があるらしい。そこで昔から疑問に思っていた一つの質問も鍋をつつきながらさせて頂いた。「数学の脳と音楽の脳は何か関係があるのですか?」そんな唐突な質問にも氏は軽く答えてくれた。その答えを今ここに書こうと思うのだがうまく整理できそうにない。僕の頭の中にはぼんやりなるほどと思えるイメージがあるのだが、まぁこの辺が僕の脳みその限界点なのだろう。それをうまく言葉で表現出来るたら写真やってないだろうし、実際のとこはよく分かってないのだろう。でも答えの中に好きな単語が登場したのは覚えている。「不協和音」いい言葉だと直感した。これが僕の心に「ぶるぶる」を起こす。ただ美しいだけのモノには「ぶるぶる」は起きない。対象が女性の場合、ただ純粋な美しさには惹かれない。それより汚れた部分や毒気に惹かれてしまう。何、言ってんだろうな。単なる趣味の話じゃんそれ。まぁとにかく「不協和音」は大事な要素だと思うのです。でもその割合が難しいとも思うけど。心に焼き付くモノにはみなそれがあると思うけど、万人に理解されるモノでもない気がする。好みの問題もあるし、どうなんだろう。きっと、人の心の中で熟成する時間もいるだろうし、育てるというか育つというかそんなところもあるんだろうな。気づいたらそれはガンだったみたいなこともあるかも知れない。


★★


多くの出会い

今日もいろんな人々に出会う機会があった。陶芸などの作家さんたちのクリスマス会、自分の事務所関係のクリスマス会。両方に出席させて頂いた。まぁそれにしてもいろんな人間にお会いして自分がいて、また違う自分を見ることが出来たように思うのです。これからもいろんな人々に出会うことが出来ますように。そしたらその先に自身の役目を、僕にしかできない世界観を見いだせる気がするのです。


★ 


松坂大輔

記憶に残る記者会見だった。
「夢が実現した感想は」
「かなわないのが夢。僕はずっと、ここで投げられることを信じて、目標にしてやってきた。だから今、ここにいるのだと思います」。
しかも、すべて日本語だった。


彼の強いメッセージを感じたのでした。


★★


リハビリ中なんで

今日は書きたいことは決まってる。でも、いまだに脳みそパンパンで整理出来てない。ふだん使わない回路を情報伝達物質が走ったらしい。その件についてはまた後日。
面白い一日でした。

それにしても、リハビリのつもりで始めたこのブログ、なんかカッコ悪い感じがしてきた。客観的にみて「勝手にママのおっぱいしゃぶってれば。」みたいなヨワ~イ感じ。
こんなことでいいのかね。

みなさん、こんなブログ見ない方がいいです。
特にかっこよく生きてらっしゃる方はご遠慮ください。時間の無駄ですから。
ヨワ~イ方のみの閲覧にしてください。


★ 


求む 住まい情報

僕は最近、引越をしたいと思っている。まだ今の家に2年も住んでいないけど飽きてしまっている。一人暮らしを始めた昔から引越の多い人間だった。自分でもなぜだか解らないのでこの先、話を進められるか不安だが書いてみる。こんな感じかも知れない。まずは街の空気に興味を持つ。もっと知りたくなる。だから住んでみたくなる。住まないと気が済まない。引越してしまう。この街はこんな感じというのがなんとなく解ったらもうそこに住む意味がなくなってしまう。いつもの街がいつもの風景であって意識もしなくなる。それだけのことかな。面白くない。話も膨らまない。やめた。こらえ性がない。あとは理想の住まいの心象風景があってそこにたどり着くまでそんな感じかも知れないな。今、山口市に済みたいと思っている。古民家で里山的なひとけの少ない場所がいい。いいところが見つかるといいのだが。


★ 


デザイナー VS  ボク

僕はデザインが好きだ。自分では出来ないし、したいとも思わない。けれどデザイナーがいいものを僕に見せてくれたときは本当にうれしい。全くの顔も知らないあかの他人でもだ。その仕事を超えてそれを生み出した本人を好きになってしまう。デザインの力を僕は信じている。もちろん写真の力は確信している。今日、デザイナーたちと軽く討論になった。うまく表現出来ないけど悔しい。何か解り合えない溝を感じた。「デザインで世の中少しは楽しくなるんじゃないだろうか。」いや、楽しくしてほしい。勝手な願望かも知れないが。もちろんいろんな個性があるから、いろんなデザイナーがいるだろう。でも思うんだ。「デザイン業はすごい仕事なんだ。」その仕事の肩書きで死なないで生きていられる、それだけで幸せなはずだし、その幸せをもっともっと世の中に落としてほしい。個人的な幸せにはきりがないけど、やりがいのない仕事をしている人たちより確実に僕たちは幸せだ。そうだ、もっともっと、幸せのオーラを出していこう。ちなみに僕はすっごい幸せです。今から、そのオーラを出すよう頑張ります。まだまだ、僕もちっちゃいなぁ。僕は楽しい、幸せです。討論しあったみんな、僕はちっちゃかったので大きくなるようがんばります。ヨロピク。


★★


ハチ

かなり久しぶりに反省した出来事があった。我が家の犬に対してしつけと思い強いしかり方と服従を求めた。これまで何度か登場している犬の「ハチ」なのだが、室内犬として飼っているので、気が狂ったように走り回ったり、遊びの延長なのだろうが噛んだりする。今日はそのうちの一回が本気で痛かったので思いっきり首根っこを押さえつけ仰向けに押さえつけた。僕の記憶では、それがしつけだと思っていた。その後、買っておいたしつけの本を読んだ。驚いたのだが、犬の世界も人間同様に体罰や威圧する方法はタブーであり、逆効果とある。要するに信頼関係を築けと言うことらしい。なるほどこの本は正しいと思ったのだ。なんだかマズイ事をした。現にそれからのハチは幾分よそよそしい。ハチにとってこれがトラウマにならなければよいが。まさか、犬のしつけが時代によってこんな風に進化しているとは、思いもしまかったし、人間の子供のしつけに平行しているとも思わなかった。それでも
古いタイプの僕からしたら、今の人間の子供の育て方の風潮には疑問が残る。特にアホなお母さんとアホな男の子この組み合わせには目を覆いたくなるのが現実だ。持論「アホな母親がアホな男を作る。」「アホな旦那がアホな母親を作る。」
言い過ぎかなぁ、あげあし取られそうだし、先に謝っときます。「ごめんなさい。ぼくの勘違いです。」


★ 


悲惨

冬になると辛いことが一つある。僕の住む街に限ったことではないだろうが、交通量の多い国道などに無惨な死体をよく発見する。獣たちである。イタチ、タヌキ、ネコといった種類の死体がひどい時には100キロ走って三体ぐらいある時がある。そんな時、人間のエゴ社会、その仕組みの中でしか生きられない自分に悲しみを感じる。へんに偽善者ぶるつもりもないが、このとてつもなく大きな仕組みがアメーバのようにゆっくりと深い谷底に向かって下っているように感じてしまう。人々もそれを感じているはずだけど、楽観的な想像をして直視出来ない。そんな勝手な想像を膨らましている。過去100年の社会の変化量から未来を想像した時、軽~く僕の想像をテクノロジーは超えていくのだろう。その時人間は地球までも支配下におきコントロールしているのだろうか。人々の心はどんな風になっているのだろうか。
今日もこんなブログを書いてしまった。けどこんなバカバカしい僕が好きでもある。


★★


幸福論

今日は大それたテーマについて少~しだけ考えたけど全然分からないので文字に置き換えてみようと思う。幸せについて思った時、実にいろいろ幸せがあるなぁとふと思った。最近、我が家に犬がいるのだが実に大きな幸せを僕にくれる。すべての時間を奴とともに味わいたいなんて思ったりもする。けど僕の行きたい幸せはもっと違うところにある。僕という存在が誰かの役に立ち喜んでもらったり、感動してもらったり、ただ前提に自分らしいかどうかは重要だけど。当然、経済的な余裕もほしい。3つの要素があるのかな?人、自分、仕事。その3つがバランス良く回転してるとき、幸せを感じれるような気がする。もう一つは撮影をしているとき、これは幸せである。生きてる実感もあるし、小さな窓からのぞく世界は実の世界と違うからどっかにいっちゃてるような感覚もあるような気がする。たとえるなら万華鏡とかそんなものをのぞいてる感覚に近いのかな。そうなると4つの要素が僕には必要だって事だ。写真、人、自分、仕事。何か分かってきたぞ。これからはこの4つのバランスに気をつけながら幸せになっていこう。言い換えれば作品(挑戦)、好きな人(信頼)、心(余裕)、やりがい(進化)ってとこだろうか。何か違うような気もするけど、今日のとこはOKとしよう。


★★★


あこがれ

孤独にあこがれを感じる。先日、冒険家の話を書いたが「孤独に自由を感じた。」という話は僕の奥底をくすぐっている。一人旅でも軽く感じることは出来るかも知れないが
僕のイメージはそれとは違う。学生の頃、「写真で世の中を変えられる。」っと信じていた頃、確かに孤独に自由を感じていた気がする。若さゆえの無知のなせる事だが確実にあの頃僕は地球の上に一人で立っていたように思う。4~5日は平気で誰にも会わず、生きていた。自分は天才だと思ってた。今思えば、脳みそもおかしかった。協調性もなく会話のための回路も使わず、今も後遺症が少しあるかも知れないけど。
まぁこうして、こんなブログ書いてるようじゃたいした人間ではないなと思うけど理想の自分の姿すら忘れかけた人間にはちょうどいいリハビリかも知れない。こんな形でも少しは自分を見つめていると思うし、なにか人に甘えたいとこもあるんだと思うな。「だめだよそんなんじゃ・・・。」なんて言われてさ。さなぎになれない幼虫みたいなもんだね。変身するの怖いんだろうな。このままじゃただのオッサンだよ。ガン告知されて余命何ヶ月なんて言われても何もしたいこと浮かんでこないよ。犬とお散歩かよ。
勘弁してほしいね。クソッテレだ。


★★


来た

ついにブサイク犬は我が家にやってきた。あらかじめ大きめのゲージを作っておいたのでなれるまではそこで静かに暮らしてもらおうとそっとしておいた。幸か不幸かそのブサイク犬はあたりをクンクンかぎ回ると何もなかったかのようにぐっすり毛布の中で眠りについた。その後いまだに飯も食わず排便もせずただひたすら寝ているだけ。飼い主としては全くの拍子抜けな初日となったのだ。寂しいんだぞ飼い主は。相手をしてくれよ。名前を付けなきゃ。父ミニピン、母パグ、メス、毛色は茶、いっけん野良の雑種と変わらない。テリー伊藤もしくは樹木希林に似ている。名前をつけなきゃ。


★ 


日本人

最近、日本、JAPANが気になってきた。いわゆるアイデンティティー?(自己同一性)ってことなのか?今まで全く気にもしない日本人としての自分に得体の知れない魅力と可能性を感じてしまっている。環境的にデザインやアートなどに触れる機会が多いのだが何か嘘くささを感じてきた。もちろん自分の仕事にも自身にもだ。僕は日本人だ。ここは日本だ。そんなヘドロの中に埋もれる魂のかどっこが目を覚まそうとしているみたいだ。誰か教えてほしい。僕は何から始めればいいのか?本当の日本はどこにあって、何をすれば僕の中で輝きを取り戻すのか。
柵の中で保護された日本、文化、芸術なんて笑っちゃう。回顧的なのもいやだ。西洋に骨の髄までしゃぶられ犯された魂を取り戻したい。現状にあふれる「着ぐるみ文化」。どこかに日本人にとっての「真実の美」というものがあるような気がするんだ。


★★


うまい

みそ汁。これがうまかった。タイミングがあわず昼飯をぬいた体にしみた。久々の感じに思わずうまみの成分を感じたんだ。白飯にみそ汁。時代劇にある農民の夕飯、ぼろぼろ小屋のいろり、貧しい子供のすする音。具がちょっぴりでサツマイモかなんかが入ってる。昔から好きなんだぁ、ああいうシーンが、うまそうなんだよな。アルプスの少女ハイジもいいけど、母を訪ねて三千里もいいね。修行僧の精進料理なんかもいい。大地の恵みをゆっくり味わいながら噛みしめる。でもやっぱり体をはった労働が絶対必要だね。畑耕さなきゃ、本当の食のうまさは感じないだろうな。もしかしたら僕の前世は貧しい農民かもな。それも悲しいけど。


★ 


冒険家

今日は冒険家の方の話をうかがった。アメリカ大陸自転車横断、アマゾン川カヌー下降、アラスカ遠征など、一般人では到底達成できない偉業と言っていい経歴を持っている。単純に素直にすごいと思った。同時に生きるか死ぬかギリギリの体験もあったという彼と自分との脳みその違いに興味を持った。この現実の日本で僕と彼はほとんど同じ状況の中に生きているけど、かたや危険と隣り合わせの冒険、かたや小さな社会に生きる自分。2人が今いっしょにいたとして2人に同じ危機的状況に出くわしたとする。けれどそこで感じる考える脳みその発想は全く違うものになると思うし、極端にいうと彼は生きる方法を懸命に模索し、僕はあきらめから簡単に死を発想するような気がする。もしくはパニックから死に陥るように思う。単純に生きる力の差がここで出る。この社会での物質的な他力本願な存在感などばかばかしく思えてしまう。しかし、、動物人間としての生き抜く力と同等に現実社会での生き抜く力も必要だろうと思う。両方を兼ね備えた人間になれないものだろうか?僕自身もある種の冒険を日々の生活の中でしているように思うのだけど、何かむなしく感じてしまう。そんな日だった。彼とお酒を飲んでみたいと思います。

追伸、彼の言葉から、
アメリカ大陸横断中の夜に満天の星空を眺めながら、
「半径300kmの範囲に人はいない。でも孤独じゃなく、自由を感じた。」  


★★


ラーメン

僕の住む街は田舎町。一昨年頃いっきにいろんな大型ラーメン店が出来た気がする。しかし、その数件はすでに閉店した。今日行ったラーメン店も先は短いと感じた。開店当初はインパクトのあるいわゆる豚骨こってりな重厚感がうれしかった。今日感じたのはもうしつこい味としか感じられず記憶にあるうまさの満足感は得られなかった。(体調の影響かも知れない?)人間とはなんと気ままな身勝手さを持っているのだろう。きっと万物にそれは当てはまる。それが男女の関係でもだ。人間関係にも、物にも。けれど、インパクトがないのはつまらない。あっても長続きはしない。結局細く長~くがいいのだろうが難しいバランスには間違いない。まぁ、人生も人間関係も、仕事も、いろいろ難しいって事かな。


★ 


名刺

今日は、広島での撮影だった。初めてのクライアントだったので最近出来立ての名刺で
交換をした。僕は名刺に何か特別の思いを込める。「miyamonです。よろしくお願いします。」その瞬間、奥底で念じているような気がする。「どうか、僕に興味を持ってくれますように。」的な念を。だから僕にとっては名刺は結構重要なアイテムである。あの数cm四方の紙切れにその思いを託している。分かってもらえるだろうか?日本社会での一般的な慣習ではあるけど、ただのメモ紙の交換ではないのだ。自分の分身であると思うし目の届かないとこでたくさんの名刺に埋もれ生き残りをかけて戦っている。奴がゴミ箱に行けば僕はそこでは死ぬ。電話も連絡も二度とこない。アホかと思うかも知れないが僕は真剣だ。今、僕は自分らしいお気に入りの名刺を持っている。今までいろんな名刺を作ってきたが初めて戦える名刺を手にすることが出来た。この名刺が僕自身です。と胸を張って交換できる。僕の心をデザインしてくれた加藤氏、福永氏に感謝する。そして、写真は「写心」でありたいと思う。お後がよろしいようで・・・。
追伸、おかげでいい感じの一日になりました。


★★





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